リコー杯女流王座戦決勝五番勝負 直前スペシャル対談
女流将棋の魅力について

梅田望夫氏 × 野月浩貴七段

梅田
梅田望夫氏リコー杯女流王座戦を創設し10月から五番勝負が始まります。それを前にして野月さんにお話をお伺いしたい。企業には先行投資という概念があり、誰も気がついてない芽や、これから大きくなっていく可能性を探索して見出して投資するというのが企業が競争していく上で非常に重要な側面だ。例えばサッカーでいえば今はなでしこジャパンが日本中で騒がれているけれど、Jリーグが発足した1993年に女子サッカーに注目する人は全然いなかった。将棋においても将棋人口の大半というのは昔から男性であり、特にこの20年間は羽生さんをはじめとする男性プロ棋士が将棋熱、将棋ファンを牽引してきた。ただ、だんだんとそれをみる女性ファンも増えてきたし、女流棋士も強くなってきて増えてきたし、里見さんのような10代で3冠をとるというようなスターもうまれつつある。そして奨励会で修行する女性も現れている。奨励会といえば小説になったりしてもいるから、非常に厳しい競争をする男性の天才達の戦いという印象が将棋ファン以外にも世の中の人達にある。しかしそこのなかで修行をする女性も増え、女流三冠の里見さんが奨励会に編入するというニュースも今年、大きく報じられた。それに加えアマチュアにも、ものすごく強い小学生の女の子が登場したりというような時代背景がある。
リコーはこれまでもゴルフや、囲碁等に協賛することでスポーツ・文化の浸透を支援してきた。今年からリコーが将棋の女流棋戦を新設しようとした背景には、そういう広い意味での女流棋界の勃興という芽に注目したというところがある。
そしてこの女流棋戦をどういう棋戦にしようかというなかで2つのテーマを掲げてすすめていくことにした。
1つめが完全オープンということで日本将棋連盟所属の棋士、LPSA所属の棋士、それからアマチュアという垣根をはずしてすべてオープンなエントリー制にするという初めての試みをする。
もうひとつは、今年はまだ中国からの招待選手を招待したのみであったがいずれは全世界の将棋普及とシンクロさせた形でのグローバルな棋戦にしたいと考えている。来年は未定ながら中国でタイトル戦を行いたいと考えている。
女流最高峰の棋戦という位置づけの新しい女流棋戦をつくることを、先ほど申し上げたとおり時代の大きな流れを読んだ先行投資と位置づけている。これが女流王座戦を創設した背景にある考え方です。
一方で現在の女流棋界を巡る状況は、1990年半ばの女子サッカーと同じように女流の将棋への理解が進んでいる状況とはいえない。スポーツの場合だと明らかに身体能力の差があってわかりやすい。男子のプロゴルフがあり女子のプロゴルフがあり最初から違うんだということがわかりやすい。将棋の場合は頭を使うからシンプルに同じだろうという認識があり、現実として男性棋士が女流棋士より強いので、そこで議論が終わりになっている側面が強い。
そこで今日は、女流棋士の棋譜を研究のためにすべて目を通していると公言されている野月さんと、女流将棋について真摯な議論を展開してみたい。今までの観戦記のなかでも、女流将棋のなかに存在する輝きを言葉にしながら、女流棋界を応援しようという気持ちを強く持って活動されてきた野月さんと、リコー杯女流王座戦五番勝負の開幕を前に、女流将棋の魅力、未来、課題について話しあってみたい。 野月さんは、女流棋士の将棋を全部並べることは単なる趣味ではなく、男性棋士からみても感心する指し方が多々あるし、自分達とは違った女性ならではの将棋に対する感覚というものが存在すると公言されているので、まずはそのあたりを話の皮切りに、お話を聞けたらと思います。
野月
野月浩貴七段女流の将棋は歴史背景が非常に大きいと感じます。江戸時代から将棋の形ができ、来年、名人位創設400年という歴史の中で、昭和のかなり後ろの方まで男性だけのプロがやるという世界だったわけですよね。そして江戸時代から将棋というものは縁台で男の人が遊ぶものだった。他のスポーツと違って女性が入ってきたというのはすごく遅くて僕が子供の頃は女の子が将棋をやることに対して周りの認識があまりないし、認めてもくれない状況だった。それがここ最近になって女の子がどんどん将棋をやるようになってきている。最近、小学校に将棋を教えにいくと、実は昨日もいってきたのですが、男の子より女の子の方が多いのです。エリアによって異なるのかもしれませんが女の子がみんなで将棋を男女関係なく遊べるゲームという認識で楽しんでいて、今は気軽に女の子の方がはいりやすくて、しかものめりこみやすい傾向があるかなと思っている。
その原因は羽生さんの影響が大きいと思う。何故か。僕は羽生さんが七冠をとったあたりに棋士になったのです。ニュースであるとかいろいろなところに羽生さんが露出していたわけです。ワイドショーとかにも出ていたわけですがそれを丁度テレビでみていた世代が、今の小学生や子供のお母さんになっている。そのお母さんが将棋に対していい印象を持っている。頭がいいとか礼儀正しいとか集中力が身につくとお母さんが思っている。子供が率先してはじめる例もあるけれどお母さんが率先してはじめるのです。そのお母さん達はニュースをみて関心はあったけれど自分達ではやってこなかった。
でも子供にはやらせたい。これは素晴らしいゲームというかゲームという感覚ではないかも知れない。
梅田
ゲームといっちゃうと携帯ゲームのような印象があるけれど、将棋は明らかにそういうものとは違うと、親から認識されていますよね。
野月
そうですね。知的スポーツであったり、別のとらえ方をして頂いている。そういう影響で女の子が非常に入りやすくて、今は新しい人がどんどん入ってきているというのがひとつともうひとつは前から将棋をやってきている女流棋士達が最近飛躍的に強くなったというのが非常に大きいと思う。
梅田
それはトップレベルの人達ですか?
野月
いえ全体的にです。こういういい方をしますと語弊があるかもしれないですが10年、15年前と比べると全体で角一枚強くなっていると感じます。それはやはり梅田さんの得意分野でもある「情報化」が非常に大きいと感じます。さまざまなところから棋譜や将棋の考え方がインターネットを通じて見られるようになって入ってくる情報と、勉強のやり方に対する情報が格段に増えてきていることにより、そういうものを吸収できるようになってきた。それに加えて彼女達も将棋にかける時間が長くなってきた。どんどんいい効果がでてきて、男性棋界もメチャクチャ強くなっているんですけど、それに負けずおとらず女流棋界の実力があがっている。こういう新棋戦ができて女流にスポットライトがあたることは非常にいいことだと思います。
梅田
今、女性全体のレベルが上がっている。つまり女流プロ棋士から小学生まで、層があつくなっていると同時に将棋の質が上がっているというお話がありましたが、今日は女流棋士に絞ってお話をお伺いしたいと思います。
野月さんはかねがね、女流棋士の将棋を「プロの将棋なんだ」とおっしゃいますよね? つまりプロだろうがアマだろうが勝った負けたで白黒つける「強さの順序」のようなものと、「プロの将棋」と「アマチュアの将棋」の違いという2つの違う軸を、野月さんはお持ちになっているような感じを受けます。
野月
なんていうのですかね。らせん状にクロスはしているのです。将棋っていうもののとらえ方をいかに理論的にできるかというのが「プロの将棋」なんですよね。 例えばスポーツの世界と一緒で「自分の生き様=将棋」としてあらわせるかどうか。修行したものを全部将棋に反映させて自分の思想のなかでいい思想の手だけを指していくということが、「プロの将棋」はぶれない。軸がぶれない思想や考え方があるということです。アマチュアの方は基本的に趣味で楽しんでいて、強い方は研究もすると思うけどでも、将棋を理論的に細かく一手一手あらゆる局面で考えたりはしないと思うのですよ。その場その場で最善手は探してはいるのですけども。
梅田
あるいは、勝つことに対する執着の強さと、将棋が楽しいという気持ち、それらがどちらか又は両方というのが、「アマチュアの将棋」の大半であるという定義で良いでしょうか。
野月
そうです。だから自分の信念を盤面に反映させるのは、アマチュアの方はそんなに重きをおかない。それでいいと思います。しかし我々としては、修行の段階でいかに自分らしさを将棋に表して、その上で強くなって、その上で勝つということを考えなきゃいけない。
梅田
それは奨励会の時からですか?どの辺りからそういう思想が生まれるのですか?
野月
奨励会からです。
梅田
奨励会からそういうことができるようになるのですか?
野月
そういう風に指導されるんです。仲間だったり奨励会の先輩だったりプロの方から将棋を指すときはこうだとか。例えば指してもらった時に「この手はない。」って言われるんですよ。「この手はない」の意味は悪手かどうかではないです。将棋の美学や信念に反しているかそうでないかで、結構いろいろなアドバイスや説教を受けるわけですよ。奨励会に入ったばかりの頃はその意味がよくわからなかった。でもそういうのを言われ続けて、そういうものだと思い続けて指していくと、自分がどういう将棋を指してどう勝ちたいんだという将棋が、一局のドラマ、物語のようになってくる。毎回毎回その自分の物語、目指す方向が一緒でなければいけないということに辿り着くわけです。例えば僕だったら攻めが好きなタイプなんですけど、それではどう攻めて勝つのが自分らしいかとか攻めの分野でも細かく分かれるわけです。例えば渡辺竜王だったら細い攻め、切れそうな攻めをつないでいく。そういう様々な分類がプロの間には存在していて、自分が目指すものをみつけてそれに向けて修行をしていくわけです。
梅田
それは女流棋士も全く同じだというとこですか?
野月
今はそうですね。そうなってきましたね。
梅田
今まではプロ棋士=四段というところで区切って、奨励会の将棋というのを我々は観る機会はほぼないのですけれど、三段の人が編み出した戦法がプロ棋士の間で使われたりということがあるわけですね。今回初代女流王座を争う加藤桃子さんは奨励会の1級ですが、奨励会1級レベルの将棋というのは今の野月さんのお話から行くとプロなんだという理解で良いのでしょうか。明らかにプロの一員であって、さっきおっしゃった思想的な面を含めてアマチュアではないんだと、アマチュアではなくプロなんだと、周囲からプロとしての思想を叩き込まれてかなり強くなった人達の人のだと。でも奨励会の三段リーグを勝ち上がって男性棋士になった人達のレベルからみると若干違うというのがある。そういう理解で良いですか。
野月
そうですね。修行の途中であるというのは間違いないですよね。
梅田
その辺の差というのを言語化するとどういうことになるのでしょうか?
野月
そうですね。奨励会ということで考えていくと、奨励会に入った時点では、みんなアマチュアのなかの強い子達ということで、6級ですとアマチュアで強い人というレベルですね。そこから修行を重ねてきて3級とか2級とかになると将棋の質や考え方が変わってきてプロの将棋の一番下という位置に属性が変わってくる。ちょうど変わり目くらいで個人差もありますけど技術的な面で変化がみられるのが2級から3級くらい、というのがありますね。
我々は三段と四段で区切っていません。そこでスパッと棋力が違いますとは思っていないので。
梅田
それは制度上そうなっているだけだということですか?
野月
そうです。ひとつの流れで基本的に奨励会の6級までがプロ集団だとみているわけですね。今いったように2、3級位でひとつの区切りがあって考え方が我々に近いというか我々と同じようなことを考えるようになってくる。やはりそういう考え方を持って将棋を指して行くと、例えば一局の将棋を指したり観た時に拾える情報の量が、アマチュアのレベルで観ているのに比べて、明らかに大きい量の情報が拾えるわけですね。アマチュアでは気がつかないことを見つけたり、考えたりできるようになる、というのがその辺りの変わり目の実力ですね。より細かく局面を観るわけです。より細かく観ていると、自分でも他者の将棋から吸収できるものが増えてくるし、強さも上がってくるということで、それが修行を積み重ねていくごとに実力が上がってくる感じかなと思うわけです。もう奨励会の有段者になると、はっきりいってプロのレベルとそんなに変わらない。四段のレベルとあまり変わらない。微妙な差はあるけれどほとんど変わらない位の技術力は持っています。
梅田
そうですか。一方で男性対女性プロの対抗戦。若手男性棋士と女流棋士の戦いがあると、なかなか女流棋士の勝率は低いのですけれども、そこに技術の差ということでいうと、一局を通しての不安定性とか何か明確な理由みたいなものはあるのですか?
野月
すこし抽象的ですけれど細かいところの技術力というのは修行の時間に比例すると思うのです。例えば我々はどんなに将棋が強くても、天才でも三段リーグまで抜けるのに何年も何年も修行をする。平均6年~8年ともいわれているんですけれども。その間、一生懸命修行した力というのが礎(いしずえ)になるのですね。彼女達は制度の問題から修行の時間が比較的短い。彼女達が悪いわけではなく、あくまで制度的な問題なのです。そこで積み上げた時間が短いので、そこで積み上げた時間の差が出た結果です。彼女達も修行の時間は短いけれども、女流プロ棋士になってからも修行をずっとしている。プロとして戦いつつも修行を続けている。そのあたりで技術的な細かさを追求している。私も実際に日経の王座戦女流一斉対局で観戦記を書いたり、取材をしているが、対戦成績では男性プロが圧倒していても、技術の差では微妙だなという将棋が多い。女性プロが一局を通して押していることもある。ただ、先ほど梅田さんがおっしゃっていたように、どこかで微妙なミスをしてしまったというのが多い。大差で最初から最後までだめだったというのは逆にあまりなくて、女流プロにチャンスがあった将棋が多かった。
梅田
それが、女流棋戦の将棋を並べて野月さんからみても輝いている部分があるということの意味ですね。残念ながらミスをしてしまった部分があるけれどと。将棋は一手ミスすると負けてしまいますからね。
野月
そうですね。そこが厳しい部分で。僕らは楽しい部分だとも思うのですけれども。一局を通して最後までミスをしないで勝つということは、長い年月そればかりを追求しないとできないものなんですよ。さっき話していたアマチュアとプロの将棋の違いでもあります。アマチュアの人は大きなミスは気にはするとは思いますが、100分の1であるとか1000分の1のミスは気にしないと思います。
でもプロは将棋を指す以上、ノーミスでいって最後まで勝つというのが理想です。本当にわずかなミスすら1回もしないというのが・・。そういうレベルをどれだけ考えて長い時間そういう思いで将棋を指すことが大事なのです。ノーミスで指すことは、普段から念頭において準備しない限りできません。彼女達はようやく最近、そういうことを思い始めてそういうことをやっているように思います。でも男性棋士は、僕は今年で38歳になるんですけど12歳の時に奨励会に入って26年間そういうことをやり続けているわけです。やっぱりその年月というのは全然違います。新四段の人も平均すると23歳位ですかね。小学校の時に奨励会に入ったとすると10年以上もそういう努力を続けているわけです やっぱそういう積み重ねのなかでミスをしてはいけない、ミスをしない将棋を指す。その上で自分らしい将棋を指すというのはやっぱり築きあげるのが大変で、その差がやっぱりギリギリのところで出ます。そこが勝率にあらわれてくるのです。
梅田
つまり、一般の将棋ファンが観る上では、女流の将棋にも、男性プロ棋士と同様のきらめきを、少なくとも部分的には必ず感じられることができるということですね?
野月
はい。ただ、ファンの方にとっては、誰かがそれを教えてくれないと気づけないレベルだと思います。彼女達はちゃんとそういう輝きを放っています。自分も含めて、業界全体でそれを伝えていきたいと思います。
結果だけ見ると、男性の方が圧倒的に勝っていて、男性が強いじゃないかと思ってしまうのですが、彼女達のきらめきというのは、自分達にないようなものも多い。
梅田
それがすごくおもしろいところですね。女性ならではの感覚。男性と少し違う感覚の指し方があるというところが。例えば今、16歳、17歳で奨励会の1級、2級くらいの女性奨励会員がさらに何年も修行を続けていったあとにもっと強くなって、男性棋士の指す将棋とは違った魅力を出すかも知れないと以前野月さんはおっしゃったことがありますが、それはどういうことなのでしょうか?
野月
言葉にはしづらいのですが、いうなれば将棋に対する考え方、修行の仕方だと思います。我々は男の世界で生きているわけで、男性社会のなかで戦って、男性の発想で常に将棋を考えているわけですよね。余計なものを一切いれないで考えていくとすると、逆に女性の発想のなかで同じ研究を違うアプローチで進めていくわけです。例えば、普段の生活の中で、女性が気付くけど男性が見逃してしまうようなことだったり、美的感覚だったり、女性ならではの感性が盤面に表れている部分も感じます。将棋とは離れた様々な事柄だって、将棋に取り入れようと思えば、いくらでもプラスになるのです。
人それぞれちがいますが、例えば男性の将棋の真理に近づくために、無駄をそぎ落とすアプローチと、女性の色々な感覚を取り入れながら将棋の真理に近づいていくアプローチ。こんな感じの違いがあっても楽しいかもしれません。何が最善かは分かりませんが、女性には女性の魅力が溢れる将棋を指し続けていってほしいです。 それで女性の考えることは僕はよくわからないですけど、女性の精神状態を反映させながら修行をやってるわけなので、そういう感性の違いがどこかにでてくると思います。そういうのは指し手を観るとわかるんですよ。ただ言葉にすると、どう表現して良いのかはわからないです。
梅田
ある男性棋士が、「男は単純な生き物で、将棋以外ではあまり戦っていないけれど、女性って日常のいろんなところで戦い続けているんじゃないですか?朝から晩までいろんなところで戦っているのをやめて、戦う気持ちのすべてを将棋盤にぶつけることになったら今と全然ちがう」と、言っていました。
野月
それは一理あるかもしれませんが僕は少し逆で、そういういろんなところで戦っている女性の特質を将棋盤上に反映するからおもしろいと思うのですよね。やっぱり将棋の強さは将棋にかける時間に反映します。どんどん彼女達も将棋にかける時間が長くなっています。これは明らかに情報化の恩恵なのですが、例えば我々でも携帯があってパソコンがあったとすると毎日、毎日中継があるので将棋を観ています。彼女達も一緒で、暇さえあれば将棋を考えています。でもちょっと前までの勉強方法では、ただ将棋を並べて、ただ詰め将棋をする。ちょっと語弊があるかもしれませんが、それで定跡を覚えるとかそういうレベルの勉強方法だったけれども、中継等を観て、男性棋士がどう考えて、局面をどう判断しているかなどが、あちこちに出ているわけですよね。例えば僕なんかも中継を観ていて、Twitterでつぶやいたりします。中継を観ていても男性棋士の解説とかが書いてありますよね。だから男性プロの考え方というのが色々なところで出てきていて、それを観つつ考えるので、彼女達も考えるための選択肢が今までとくらべて飛躍的に増えています。これはプロの世界なので当たり前ですが、今までは「どういう風に考えたらいいのか?」とか、「どうしたらいいのか?」なんてことは一切教えてくれなかった部分です。特に将棋界ではコーチみたいな存在は居ないので。これまで女流棋士達は、棋譜を並べていても、ただ並べてたり手順を覚えたりしていることが多かったように思います。そこから何を吸収していけばいいのかがわからなかったのではないでしょうか。
梅田
男性プロは母集団もたくさんいたこともあり、そういうのは自分でやりなさい。できない人はいりませんというような文化だったんですね。
野月
だから教えるというのは初めの1回くらいで、何回も何回も丁寧に教えるというのは男性棋士の感覚では良くないというのがありました。つまり、教えてもらうということに慣れすぎるのがダメだという世界でした。例えば戦う時は常に自分で局面を考えていかなければならないわけで、誰かが「ここでこうしたらいいよ」とかは一切言ってくれないのです。自分で見つけ出せない人はプロとして要りません、大成しませんという世界なのです。 女流棋士達にも同じことを強いていたわけですけど、ここが男女の差で、彼女達は言われたことを根つめてやることが得意です。勉強とかもそうですけど、課題を与えてこういうことをやりなさいといわれると男性よりも上手にこなします。女性の勉強の仕方と、男性の勉強の仕方というのも実は違っていたりするので、未だに直接彼女達に教えたりするというのは少ないですけど「彼女達がどうやったらいいのか?」答えをもらえる場所は増えてきています。そういう環境のなかで一日中将棋を観ていると、それはとても強くなりますよ。考え方もどんどん良い考え方になって、素晴らしい手も産み出すわけです。女流棋士と男性棋士のなかで流行している戦法も違うわけです。
梅田
例えば男性棋士の現代将棋ですと8五飛車戦法や角換わり、一手損角換わり、矢倉、石田流、ゴキゲン中飛車だったりと。
野月
万遍なくですよね。
梅田
女流棋士ではどうなのですか?
野月
女流将棋では圧倒的に振り飛車が多いです。最近ようやく変わりつつありますが。圧倒的に振り飛車が多い理由は、僕の持論ですが、将棋を教わっている環境に振り飛車党が多いというのがその理由だと思っています。なんで振り飛車党が多いのかと言うと、振り飛車というのは将棋のルールを覚えたときに一番簡単に覚えられる戦法だからです。例えば、飛車を四間に振りましょう。後は美濃囲いに組みましょう。っと教わるとそれだけで将棋が指せます。今の子達は自主的に将棋を覚えることができますが、女流棋士達は、基本的にお父さんが将棋が好きで、自分の娘に教えたという例が圧倒的に多い。
梅田
これは教える方の問題で、教え方が一番簡単なのが振り飛車ということですか?
野月
そうです。振り飛車だと簡単に覚えられる。居飛車だと相居飛車から対振り飛車まで何もかも覚えなければいけません。居飛車は選択肢が多いのです。でも振り飛車は、飛車を振れば相手次第の部分はありますが、基本的に形は一緒だということで、教える方の問題で振り飛車は教えやすいというのがあります。 それで振り飛車を教わって振り飛車一本でやってきたという女流棋士がかなり多いと思います。
女流棋界全体で7割位が振り飛車党。男性棋界は20代は振り飛車党が多いですけど、全体から考えたら居飛車党の方が多いです。
梅田
昔は、プロ棋士なら本格的な居飛車じゃなければダメだという通念もありましたね。
野月
そうですね。男性は基本的になんでもやります。居飛車党といっても振り飛車はできますし、振り飛車党といっても居飛車はできます。
梅田
それは奨励会での修行の厚みみたいなものですか?
野月
そうですね。あと、奨励会では必ず香落ちがあるので、居飛車党でも振り飛車をやらなければいけません。振り飛車党の人はそのままでいいですけど、居飛車党の人も飛車を振らなければいけない。いろいろと戦法も試したり変わったりというのがあるわけですよね。 女流棋士は振り飛車党が多い中で戦っているので、相振り飛車が棋譜を並べていても極めて多いわけです。それで同じような形で戦っているので、戦型に対するノウハウは非常にあります。女流棋界のなかで相振り飛車という戦法が進化しているというのがあるわけです。男性棋界ですと振り飛車党でも相手が飛車を振ったら居飛車という人も多いです。
梅田
そうですね。相振り飛車が少し増えてきたのは最近ですよね。
野月
そうですね。そういう意味では女流棋士の将棋では、振り飛車対居飛車だったり、相振り飛車がほとんどですよ。だからこれらの戦型が進化していくのです。だから我々にはない感覚というのが出てきます。生物の進化論と一緒の話ですだから自分にはない感覚があるので、女流将棋を観ているということです。一局をみるとノーミスでない将棋が多かったりします。でも一箇所だけをクローズアップすると、自分の指し手よりも輝いているというのは、ゴロゴロ転がっているわけです。
だからそういう手を吸収する価値があると思っています。常に男性棋士の棋譜も、女流棋士の棋譜も、全チェックをして、同じような観点で吸収していきます。
梅田
そういうところを今回のリコー杯ではぜひ、さまざまな形で一般のファンの人達に伝える努力というのをしていきたいと考えています。ではこの後は具体的な指し手でこれまでおっしゃった女流将棋の魅力について教えてください。
野月
わかりました。
私が女流棋士を含めた全ての将棋をみる理由は、それこそがプロの将棋の根幹なのですが、全部の戦法がリンクしているという考え方です。四間飛車だったら四間飛車の戦いだけにすべての要素がおちているわけではないのです。例えば居飛車戦の戦い、手筋でも、四間飛車で使えるものが必ずあります。なので色々な戦法からいいところを吸収して、全ての戦法でそれを活かします。男性棋士のトップは、誰もが全ての戦法ができます。羽生さんはなんでも指しますし、広瀬さんだって振り飛車穴熊が得意とは言われているけれど居飛車もよくやっていて、例えば横歩取り8五飛車戦法は得意だし、公式戦でも振り飛車穴熊以外では居飛車も多い。なんでも指せるというなかで色々なところから良いものを拾っていくというやりかたを皆しています。
梅田
そういうなかで、思想を表現するために戦法を固定する人もいる。そう考えればいいですか。
野月
そうです。でもそういう人達も戦法を全部観て、様々な戦法の長所を吸収していますし、練習では他の戦法もやったりしています。
梅田
久保さんも「研究会では居飛車を指すこともある」とおっしゃっていました。
野月
順位戦で横歩取りをやったこともありましたしね。同じ日に自分も関西将棋会館で対局していたので、振り飛車党の指す横歩取りを、興味深く観察していました。
そういう他の戦法のなかでも、吸収すべき要素が落ちていると考えるのが男性プロの発想で、女流棋士も最近そういうことをやり出しています。例えば矢内さん、最近振り飛車を多用していますが、あれは今までと違う戦法をやることで自分を成長させる何かがあると感じているからだと思います。甲斐さんは逆で奨励会時代は居飛車党でした。やっぱりなんでもできた方が強いわけです。苦手な局面がないということで。
梅田
すべての戦法がつながっている。羽生さんが現代将棋について語るときによくおっしゃるのは、ことに、現代将棋になってすべての戦法がリンクしてきたということですが、野月さんがおっしゃっているのはそれに近いですか?
野月
まさにおっしゃるとおりです。
梅田
20年前の将棋は今に比べるとリンクする度合いが低かったですか?
野月
低いです。例えば矢倉はこういう手筋ですというわかりやすいものがありましたが、今は特に全ての戦法がリンクしています。例えば、横歩取りなんかはその典型なんですよね。飛車も角も空中にいるので、振り飛車党の感覚もないとできませんし、角を交換することが多いので角交換型の戦い、角換わり戦法だったり角交換振り飛車のアイディアも持っていなければいけませんし、相掛かり的な思想もなければいけないというように、全部を要求されてしまうわけですね。
梅田
だから最近、アマチュアの指す将棋とプロの指す将棋が少し乖離してきているというのがあるのですね。
野月
我々プロでも、全ての戦法に高い知識がないと、観ても全く意味がわかりません。要求されるものがすごい高くなってしまったというのがありますね。
今回、決勝を戦う二人の将棋を元にそのあたりを検証していきましょう。 まずは清水さん。清水さんの将棋は一言でいうと叩き上げというイメージが強いです。
梅田
それはどういうことですか?
野月
奨励会にも属したこともなく、自分で叩き上げた将棋というイメージです。
常に将棋に対して真摯に向き合っていて、将棋道ということで将棋を考えていらっしゃる方ですね。普段の練習の時から対局の時まで男性、女性あわせたなかでも一番姿勢がいい方です。将棋道に殉じて生きていて、将棋道に殉じて戦っている方ですね。
梅田
それが棋譜ででているのはありますか?
野月
図1第59期王座戦予選の瀬川四段―清水女流六段(先)がいいかと思います。
第1図以下の指し手
▲2四歩△2二歩▲7四歩△9七角成▲同香△7四歩▲同飛△6四角(第2図)
横歩取りからのひねり飛車は清水さんの得意戦法で、男性棋士でもこの形を避ける人は多いです。相掛かりや横歩取りが清水さんの得意なパターンで、戦うとボコボコにされてしまうケースが多いです。清水さんは横歩取りとかこういう最新の研究にも独自の世界を表現しているように感じます。今回のひねり飛車は、横歩取りに対する対策としては珍しくて、男性棋士でも数人しかやりません。清水さんはこの戦法をとことん突き詰めています。だから清水さんがこの戦法を切り開いているといっても過言ではありません。
先手の陣形はひねり飛車なので、通常ですと玉が右にいって囲うのですが、玉が真ん中にいて端をついていっています。一見、心許ない感じかもしれませんが、清水さんは自分のバランス力に自信を持っているんですね。普通は固く囲わないと自信がないのですが、清水さんはバランス感覚に自信をもって堂々と指している。
瀬川さんもじっくり囲うのは難しいと睨んで、△9三桂と端に桂馬を跳ねて揺さぶりにかかっています。次に△8五桂と跳ねても▲8六飛とまわれば、△9七桂成と角は取れないので(▲8二飛成と飛車を取られてしまう。)△8四歩と受けるしかないですが、その間に角を逃げればいいのでそんなにすぐに厳しい手ではないのです。もしかしたらいくかもしれませんよと瀬川さんは揺さぶりをかけてきました。
ここで清水さんが放った▲2四歩。この辺りの呼吸が清水さんらしいと感じます。バランスをとりつつ、穏やかにもできますよ、相手の指し手によっては激しくもできますよ、という一手です。
図2
梅田
△9三桂に対して▲2四歩が厳しい手というわけですか?もう少し具体的に教えてください。
野月
はい。まずは△9三桂はあくまで揺さぶりで、それ自体はそんなに厳しい手ではないといいました。ですから清水さんとしては、普通の手を指しても何も問題ないわけですけど、この▲2四歩は先手として考えられるなかで一番激しく厳しい、リスクのある一手です。 この手は「瀬川さん、そんな中途半端な気持ちじゃなくて命をかけてやってきなさいよ」っという決意を持った一手です。この▲2四歩というのは今、8筋が争点になっているので指しづらい手です。指しづらい上に△2四銀と取れるわけじゃないですか。変な話、放っていても何があるかわからないような手なわけです。そういうところに手を作るというか、手の可能性を見つけ出しているわけです。
この▲2四歩という手は瀬川さんに△8五桂を許しませんという手なのです。
例えば、▲2四歩に手を抜いて△8五桂と指したとします。するとさっき解説したように▲8六飛と寄ります。△8四歩に▲8八角と引きます。こうなると、8五にいる桂馬は必ず交換になります。そして飛車を2筋に展開することができ、しかも桂馬が手に入ると▲2三桂が非常に厳しい一手になります。そこでもし△2四銀と歩を取れば、先手の8八にいる角のラインが通ってくるわけです。対して後手からは8筋に対して厳しい攻めがない。 普通のアマチュアだったら第1図で次の一手問題を出したら、▲7四歩と突く人が多いと思います。でもそう戦うのは瀬川さんの注文なわけです。角も交換になりますし、後で△7六歩の反撃が非常に厳しい一手になるからです。瀬川さんはそういう展開を思い描いていたのですが、8筋とは全然違うところから厳しい一手が飛んできたわけです。瀬川さんはこの▲2四歩に対して44分考えています。その前の△3一玉は間合いをはかった手に31分考えています。次の△9三桂は△3一玉とリンクした手なのですが、ここで38分考えています。これである程度メドを立てて動こうとしたわけですけど、ここで▲2四歩に対する△2二歩で43分考えたのは明らかにおかしいですね。
梅田
△2二歩は相当つらそうな手ですよね?
野月
普通はない手ですよね。△2二歩と打った局面が、いいか悪いかは別にして、△2二歩を打ちたくてこの局面にしていません。後で玉が狭くて大変な思いをしますし、男性棋士のアンテナとして、ここに歩を打ったら勝てないというのがあります。ここに歩を打ってしまうと先手に対して脅威を抱かせることもできないですよね。しかも貴重な一歩です。この辺りからも、清水さんのきらめきというか、将棋に対する奥深さと、普段から将棋に対して持っている考え方、感覚が優れているのがわかります。女流棋士では貴重な居飛車党、でそういう感覚を持っているのが凄いなと思います。
この後、▲7四歩△9七角成▲同香△7四歩▲同飛△6四角(第2図)と進むわけですけど、こうなると後手玉がとてつもなく狭くなっています。▲2四歩が非常に効果を発揮しています。

この後は瀬川さんの粘りにあって残念ながら清水さんは敗れてしまいましたが清水さんの強さがわかる一局だったと思います。
野月
次は加藤桃子さんの将棋を観てみたいと思います。
まずは奨励会についてですが、これはよく話をするのですが奨励会員ってほぼ100%男性の世界なわけじゃないですか。そうした中で異性が一人やっていくというのは想像を絶する大変さがあると思うんです。逆の立場で、女の子100人のなかで1人で修行しろっていわれたら僕はすぐに逃げ出します。
女の子に負けられないという厳しさをモロに受けるわけですよ。そういう環境のなかでずーっと長い間やるというのは非常に大変だと思います。
また彼女達は、順位戦の棋譜をとったりもしているのですが、持ち時間6時間の将棋が終わって、夜中に女の子1人で帰るわけにもいかないし、連盟に泊まっていくのも大変だし・・。 そういう意味でもハンデはあると思います。でもその中でも男の子達がやっている修行と同じことを、文句をいわずにやっています。
そのことを非常に評価してあげたいなと思います。
奨励会に入ったからって必ず強くなるという保障はどこにもなくて、入ってもすぐに居なくなる子の方が多いわけです。努力した人達だけが少しずつ上へ上がっていく世界です。 では将棋をみてみましょう。
加藤さんは何年も前から奨励会でも評価が高かったです。何かの機会で将棋を観たことがあったのですが、これは強くなりそうだなという印象を持ちました。
棋風は居飛車正統派ですね。奨励会に在籍しているので香落ちもあり、振り飛車も指せるはずです。
では、リコー杯女流王座戦から岩根女流二段(先)―加藤奨励会2級(当時)戦を見ていきたいと思います。(第3図)
この局面は男性の公式戦でも何局も出ています。この後は端歩をついたり▲7五銀とぶつけたりしています。今、旬な将棋でもあるのでこの局面は研究が進んでいると思います。
図3第3図以下の指し手
▲9六歩△9四歩▲8九飛△7四歩▲6八金△7三桂▲2六歩△8一飛▲2七銀△3五歩▲3八金△6二金▲5七銀△3四銀▲3六歩△同歩▲同銀△3五歩▲2七銀△3三桂▲3七桂△4三金▲6六歩△2四歩▲7五歩△同銀▲6五桂△同桂▲同歩(第4図)
△7三桂は攻めをみた手ですが、▲2六歩に対する△8一飛は工夫の一手です。これはこの後、進む手順をイメージした指し方です。
梅田
この辺りが創造性であり、構想力なのですね?
野月
そうです。先ほど言いましたが自分で考え出した工夫というところにつながってきます。今回はとてもうまくいっています。△8一飛車~△6二金~△3五歩というのはある構想に向かって走っています。関連性がなさそうですが、54手目△2四歩まで進めば、アマチュアの皆さんでもわかってくると思います。最初の△8一飛から20手近く進んでわかってくるわけです。
奨励会員の特徴として毎回毎回、少しでも得をしようとか、有力と思ったことをやろうというチャレンジをしてくるところがあります。今回のとてもうまくいった例です。優勢まではいきませんが作戦勝ちになりやすい形になっています。この後、7筋から戦いが始まって、迎えたのが第4図の局面です。
図4第4図以下の指し手
△4五桂打▲同桂△同桂▲3七歩△5七桂成▲同金△4五桂▲5八金△6六銀▲4六桂△2三銀▲6四歩△同歩▲6九飛。(第5図)
ここで△4五桂と打ちましたが、これはプロ感覚ならば打ちたいところですね。すぐに目に映る△3六桂は時期尚早です。もう少し拠点をつくってから△3六桂と打ちたいですね。3三の桂馬を4五にもっていくという発想です。以下、△4五桂打▲同桂△同桂▲3七歩。
この▲3七歩の局面で加藤さんがリードしたと思います。▲4六銀だったら微妙な形勢だったと思います。△3六桂はありますが相手にもリスクがありますので。岩根さんが▲3七歩を打ったで、ここからは少し加藤さんが良くなりました。そしてここからの指し手が渋いというか、落ち着きがあって強かったです。△5七桂成と銀桂交換をした後に、再度△4五桂馬と打ち▲5八金に△6六銀と摺り込んできました。▲4六桂△2三銀に▲6四歩△同歩に▲6九飛とまわりました。(第5図)
図5第5図以下の指し手
△7五角▲4九桂△5二金▲5五歩△同歩▲7九飛△6三銀(第6図)
ここで血気盛んにいくなら△5七に打ち込むとか、△7六角と打つ手がありますが、ここからの指し手が非常に落ち着いていました。△7五角。この手は力を貯めた一手で、△5七銀成を狙っています。この角は遠く先手玉の3九までを睨んでいます。それと同時に▲6四飛と走られる手を消しています。そして先手の歩切れをついています。先手は止むを得ずに▲4九桂と受けました。△5七桂成といくと、精算した後に▲6四飛と走る手が残ってしまいます。ここで△5二金と指した手がプロ好みの一着です。「感触の良い手」です。こういう手が悪手にならないというのは、読みではないのです。奨励会での修行を通して「体に染み付いた感覚」で、相手に手がないときにじっと駒を自陣に寄せて手を渡すのです。体が覚える一手です。1.金銀が固まって玉が固くなる。2.▲6四飛車と走られた時に金とりにならないという。メリットがあります。
ここで▲7二角という隙はあるのですが、それはむしろ打たせてしまったほうが得だとみています。▲7二角△7一飛▲8三角成と後手玉から離れたところへ馬をつくってくれるなら構わないとみています。また▲7二角には△3一飛車と玉側に寄せて△2二玉から3筋を攻める手もあります。
▲7二角に対して手に乗っていこうという手で、これはプロの感覚です。
以下、先手は▲5五歩△同歩▲7九飛ときました。ここで加藤さんが8分考え使って勝ちを読みきったわけです。△5二金からですと20分使っています。この20分で勝ちまでのイメージを構築したのだと思います。△6三銀(第6図)
図6第6図以下の指し手
▲7六飛△5六歩▲8八角に△5七銀成▲同金△同歩成▲5五桂△4八と▲6三桂成△同金▲7五飛△3八と▲同銀△7五歩(第7図)
梅田
これは押さえ込みを狙っているのですか?
野月
そうですね。これは相手の手を全部消して勝ちますという手で、それが具体的にできるかどうかを判断して決めたのがこの20分です。
△5二金と指して▲5五歩と焦らせてここで平然と△6三銀と打ちました。この手は、僕には打てない一手です。棋風が違うからですけど。ここで自陣の傷を消しました。 後手陣は先手に角を2枚取られると傷が大きいです。そこを消して先手が▲5五歩と突き捨てた手を逆用して△5六歩~△5七歩成で勝とうとしています。 以下▲7六飛に対して△5六歩とつき▲8八角に△5七銀成▲同金△同歩成▲5五桂△4八と▲6三桂成△同金▲7五飛△3八と▲同銀△7五歩(第7図)と進み以下後手が快勝しました。 図7
我々は研究だといって人の将棋を観ていますが、こういう風に人の工夫を発見するということは楽しみなんですよ。観戦が研究目的以外にも趣味の延長の部分があり、誰かの工夫を発見すると、嬉しくて嬉しくてたまらないところがあります。
梅田
最後にこの五番勝負は観戦記や大盤解説放送やインターネット中継など多くの形で配信されていきますが、観戦記者、中継記者、控室で検討する棋士、解説を担当する棋士といった、将棋の内容をファンに伝えていく関係者の方々に対してメッセージをお願いします。
野月
特に偉そうなことを言うつもりはありません。棋士の立場から言わせていただくと、今解説したようなことも含めて、棋士が指す以上、一手一手に人生をかけており、必ずその一手に意味があります。その一手の裏に何があるかということ、こんな物語が詰まっているんだよということを、ファンの方に伝えていただければと思います。
梅田
今日はどうもありがとうございました。

※9月末日、リコー本社にて。梅田望夫氏は現在、(株)リコーの社外取締役をつとめている。段位、肩書きは当時のもの。